プロフィール

 県議であれ、民間人であれ、「元気で人に優しい鳥取」を創りたい。そう思い続けています。
活力に溢れ、豊かさを実感し、笑顔が弾ける地域にしたい。そのためには何が必要なのか。
人が人として大切にされ、ハンディーを個性と思える地域にしたい。そのためには何をすべきか。
そのためには県議として記者として歩んできた日々が糧になると思っています。
私の思いは変わりません。
ゆとり豊かさを感じことのできる鳥取を創るため、これからも頑張って参ります。
いっしょに元気で人に優しい鳥取を創っていきましょう!!!

私の議員活動

 2011年4月の統一地方選挙で鳥取県議会議員に初当選。県議会会派「かけはし」を結成し、政調会長と議会運営委員に就任し、会派の政策提言の中心的役割を果たしました。福祉生活病院常任委員会副委員長として「みのり福祉会事件」の真相究明や全国で初めて井戸の水位観測を義務付けた地下水保全条例の制定を主導し、横山隆義委員長の下、エネルギー・雇用調査特別委員会では、環境イニシアティブプランに具体的な数値目標の設定を強く求めるなど、具体的な成果の出る議会活動を進めて参りました。また、伊藤美都夫議長の下、設置された議会改革推進会議の委員にも就任。政務調査費(現・政務活動費)ガイドラインの見直し、議会基本条例と議会倫理条例の制定では、より先進的なものになるよう情報公開を徹底するよう論陣を張りました。

ガイドラインでは都道府県議会では唯一、1円からの領収書添付を義務付け、そのことが兵庫県議以来、政務調査費が問題化する中で、鳥取県議会が高く評価されることになり、頑張って良かったと思っています。議会基本条例では日本で初めて議員の調査権を明記し、議会倫理条例では社会福祉法人役員への就任自粛規定も盛り込みました。

その後、会派会長だった長谷川稔議員が突然、「個人で活動したい」と会派を離脱し、交渉会派の地位を失いました。徹底した議論と政務調査活動を会派として続けていましたので、それが長谷川議員の負担になったのかもしれません。しかし、2013年10月には会派「かけはし」を解散し、所属していた議員3人で、伊藤議員と伊藤議員が会派自民党を離脱して立ち上げた会派希望(のぞみ)に合流し、交渉会派への復帰を果たしました。同一会派を組めたのも、伊藤議員とは議会改革を、横山議員とは環境イニシアティブプランを議論する中で培った信頼関係があったからこそと思っています。

会派希望では引き続き、政調会長として会派の政策立案の責任者として奔走しています。伊藤議員は県漁連会長、県農林水産部長を歴任されており、高知県の馬路村農協など農業取材を続けていたとはいえ、現場経験のない私には貴重な示唆をいただき感謝しています。また、横山議員は由良育英高校陸上部監督して、駅伝の全国制覇を果たした名伯楽です。指導するのは常に一番遅い選手。一番遅い選手を一週間も指導すれば中堅には育つので、今度はその次に遅い選手を指導する。そうして、チーム全体の力量が上がっていったとき、初めて全国制覇を狙えるチームができるという教育論は感動して聞きました。スポーツツーリズムの仕掛け人でもあり、二人三脚でスポーツによる来県者のための政策立案に全力を尽くしています。

1年生議員としては異例ですが、横山議員の後を受けて広報委員会委員長にも選ばれ、県議会だよりの編集責任者を務めるほか、農林水産商工常任委員、高速道路網調査特別調査委員、議会定数等調査委員等として、議会活動を展開しています。

私の取材暦

  朝日新聞社では鳥取総局、福山支局、京都総局、大阪本社、東京本社、鳥取総局、松山総局、米子支局長と転勤を続けながら記者生活を続け、鳥取総局次長を最後に2009年10月に退社しました。東京本社では地域報道部、選挙本部、社会部、整理部に所属。地域問題総合取材班、旧文部省、旧自治省、選挙本部、平和取材班、政局取材班、旧労働省なども担当しました。

私が担当した初めての大きな仕事は鳥取市制100周年記念「世界おもちゃ博覧会」。その開幕の日に妻にプロポーズしました。司法や選挙事務なども担当しましたが、ずっと追い続けてきたテーマは「地域の自立」です。旧自治省の担当や地方総支局の記者として、福山市の朝鮮通信使の再発見運動、東京都立川市のモノレール建設を核とした都市再開発、武蔵村山市の徹底したケチケチ作戦での財政再建、東大和市の市民教師制度、徳島県上勝町の葉っぱビジネス、高知県馬路村の柚子のブランド化、夕日をキーワードにした愛媛県双見町の観光開発……と数多くの成功例も失敗例も見てきました。

地域を元気にしようと頑張る人たちから話を聴きながら、時には激しく議論をし、紙面化してきました。そうした感動体験を重ねるうち、自分も主体的に地域づくりに関わりたいとの思いが募り、政治家を志すようになったのではないでしょうか。

私の情報公開

【生い立ち】福岡市で3代続く料理店の三男坊として1963年5月8日に生まれました。A型です。福岡教育大付属福岡小学校、同中学校、福岡県立福岡高等学校を経て広島大学に入学しましたが、実家の料理店が倒産。大学生協でのバイトと奨学金を頼りに生計を立て、憲法学を専攻しました。広島大学を卒業と同時に朝日新聞社に入社。2010年春の鳥取市長選に朝日新聞社を退社して挑戦しましたが落選。2011年4月10日の統一地方選挙で、鳥取市選挙区から鳥取県議に当選しました。

【市民活動】鳥取市庁舎の移転新築問題では、新潟県巻原発の建設を阻止した住民投票に学んで、鳥取市での住民投票を行うよう提案。大きな住民運動のうねりとなしましたが、鳥取市議会は住民投票で示された「現在地で耐震改修」という民意を無視して市庁舎移転条例を可決したのは遺憾の極みです。男女共同参画推進会議とっとりに参加させていただき、副会長も務めています。島根県立大学の渡辺周子講師を招いて研修会を開催したり、女と男のハーモニーフェスタにカレーと砂珈琲の模擬店で参加したりしています。因幡民謡貝がら節保存会の会長も務め、都市緑化フェアでは、貝がら節全国大会を開催。貝がら節の普及にも努力しています。また、青翔開智中学校・高等学校はPTA(父母教師会)ではなく、FTA(家族教師会)で、生徒たちを応援していますが、その副会長でもあります。

【家族】最愛の妻は2つ下で、趣味はパッチワーク。亡くなりましたが妻の父親は、網代漁協からイカ釣り船で出港していた漁師です。妻の母親は、今も海産物の加工に汗を流す働き者です。そんな共働きの両親の下で妻は生まれ育ったため、ケーキなどお菓子を作りながら子どもたちの帰りを待つ家庭が夢だったとか。それだけに、安定していたサラリーマンから一転、政治家の妻となり、申し訳なく思っています。米子高専で学んでいた長男は千葉大学建築学科へ編入学。同大学院へ進学しました。滋賀大学経済学部に通う長女、青翔開智高等学校で学ぶ次男の5人家族です。

【好きな言葉】大学で憲法学を専攻し、法哲学を勉強するようになったことから哲学に興味を持ち、仏教関係の本を読むようになりました。「照干一隅此則国宝」(一隅を照らす者、これ、即、国の宝なり)。天台宗を開いた最澄大師の言葉です。それぞれの分野で懸命に働く人たちが、一番大切にされないといけません。行政も、そんな人たちに光を当てる行政を展開しないといけないと思います。また、「さいわいは心からいでて我をかざる」という日蓮上人の言葉も好きです。

【好きなこと】何より好きなことは人の話を聴くことです。3人の子どもたちと話すと想定外の返事が返ってくるので面白く、ランチやお茶して、映画を見て、買い物をして帰るのが一番楽しい時間です。映画の趣味もほぼ一致しますし、しかも、子どもたちは発想がとてもユニーク。結構、発想のヒントをもらっています。ところが、長男と娘が大学に進学した後は、子どもたちの休みか、私が出張に出て仕事が終わった後にちょっと会うくらいしかチャンスがなく、高校生の次男も右に習い。あまり時間をつくってくれないので淋しい限りです。